生き方・働き方を考えてみよう!インタビュー:case2 五十嵐ひろみさん


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自分の得意で生きていく!
家族がつながる働き方

子どもの頃から踊ることが好きで、大人になってもダンス一筋。

結婚をする前からダンス講師として働き、人生そのものがダンス一色でした。

結婚・出産を経て、子育てを優先させながらも自分の生きがいであるダンスをやめず講師として働くために、自分の得意を積極的にアピールし新しいダンススタジオでの講師のポジションを勝ち取りました。

その後、夫と一緒にダンススタジオを開くことになってからも、ダンスを通して夫や子どもとの絆を深めていき、今でも子どもは大きく成長しましたが、踊ることで家族が繋がっていると感じています。

五十嵐さんのライフチャート


Q:なぜ、この仕事を選んだのですか?

A:小さい頃から踊るのが好きで、色々なダンスをやってきました。社交ダンスは大人になってから出会い、仕事にするならコレかなと思いました。ダンスを教えるという仕事で色々嫌な事もありますが、単純にダンスは今までやってきた仕事だし、すごく好きな仕事だから、ダンスを辞める選択肢はありませんでした。

Q:ダンスは何歳からやっていますか?

A:社交ダンスは20歳からです。その前には、ジャズやバレーもやっていたので、さほど苦労せずに社交ダンスのプロになることができました。

Q:お子さんを産んでからの仕事の復帰はいつでしたか?

A:長男の時は、産後3ヶ月。ダンスから離れたくなかったので、産後1ヶ月から練習を始めて、3ヶ月で入れる保育園を探しました。

下に双子を授かったのですが、双子が生まれる時は、妊娠5ヶ月から安静にしなくてはいけなくなり仕事をクビになりました。早めの復帰を試みましたが、
双子の弟くんが未熟児で産まれて、病気がみつかり、復帰に1年かかりました。双子が9ヶ月くらいで『私はこのままじゃ、壊れる…』となり、保育園を探し始めたのですが、2歳と0歳の双子、計3人を同じ保育園に入れられるところが当時住んでいた駅前周辺ではありませんでした。

また、その頃は免許を持っていなくて電車通勤の選択肢しかなかったので、夫に頑張ってもらい、民営の保育園に3ヶ月預けて、その間に車の免許を取りました。それで、免許取得後、保育園からの子どもの呼び出しや住んでいる場所から離れなくても行きやすい場所を探し、南浦和のスタジオを見つけました。でも、そこは最初講師の募集はしてなくて電話口で断られたり、「オーナーと話したい」と言うと「女性は募集してない」と言われたり、「それでも一度話したい!」と別日に電話したのに、別の人にも「募集してない」と言われたり、何度もトライをして無理くりおしこみ入社しました。

Q:まだ小さいお子さん3人を育てている中で、ましてや講師募集をしていないところに入社をするのはとても勇気がいったと思います。どのように仕事を勝ち取ったのですか?

A:そのダンス教室の仕事は12時から22時の勤務でした。でも、子育て中に22時に帰宅するのは無理だし、南浦和の勤務先だったから、18時のお迎えに間に合わせるには17時には退社しないといけない。12時から仕事だから17時までの5時間しか働けませんでした。

その時まだ自分は現役選手で「試合に出て勝ち上がっていく」ことが、プロダンサーとしての評価の1つだし、講師としてもプラスに働くと思っていました。長男を妊娠した時、ピラミッドがあって下からD.C.B.Aとなっていて、私はA級になる一歩手前でした。そのため、「私は、子育て中なので働く時間は短いけど、必ずラテンA級になれるように頑張ります。(ラテンを得意とする若い年代の講師がいないスタジオだったので)宣伝材料にもなるし、ラテンをメインに習いたい方や今よりも若い世代の人たちにも興味を持ってもらえるようにします。土日のイベントや営業に出られる事は少ないけど、出られた時はその分力仕事でもなんでもやります」とできない事があるからこそ、出来るところで頑張りますと自分が会社に貢献できる可能性を伝え、雇ってもらいました。今思えば具体性がなく、熱意だけで押し通した結果ですが、きっとオーナーはそこも含め、応援する気持ちで雇ってくれたんだと思います。

Q:そこから今の地にきた理由はなんですか?

A:夫は都内で働いていたのですが、独立すると言い出しました。私は南浦のスタジオで子育て中心にゆっくりペースでお仕事をしていました。やりたい事をやれる環境では無かったけど、子どもが小さかったし、仕事場の人にも可愛がってもらって働きやすかったし自分を優しく包んでくれる居心地の良い場所だったし、満足はしていました。でも、夫に「独立したい」と言われ、夫はダンスのパートナーだし、妻として夫を支えることも大切。それで、「私もついていかないといけないよね?」と思い、夫も私が前に「将来的に独立するなら、家の近くじゃないと絶対無理」と言っていたのを覚えていてくれたので、家の近くの吉川駅に近いここのスタジオを見つけてきて、どんどん話が進んでいきました。

Q:今のその決断はどう思いますか?

A:当時は、
めちゃくちゃ大変だったけど、夫にとってはあの時しか無かったんだと思います。

Q:子どもが産まれて、休職して復帰して、起業して、節目節目で生活が変わっていったと思いますが、課題や葛藤は何かありましたか?

A:子どもが産まれると節目が多いですよね。でも、環境が変わるたびに「大丈夫!そのうち慣れるから!この状態にまず慣れよう!」と意識しています。変わった時はまず、多くを望まず、まず慣れることを目指す。一年過ごせば慣れるし、対処の仕方もわかってくる。

葛藤はその時々でありましたが、新しい環境に飛び込むことは好きな方なので。ただ、子どもに良くない影響が出ている時は、ゆっくりペースで物事を捉えるようにしています。「この一つのチャンスを逃したところで、人生は大きく変わらないよ」と考えるようにしています。その時の自分の仕事への欲求よりも命=子どもを選んで、状況が落ち着いたら動きだす。

仕事に関しては、全く同じチャンスが来なくても、続けていれば似たようなチャンスが訪れます。

Q:仕事復帰のタイミングで、パートナー(夫)とお子さんの反応はどうでしたか?

A:夫とはダンスパートナーで、一緒に仕事もしてるので、別の場所で仕事してる方が珍しい。子どもが小さい時、熱を出したりした時は、子ども優先で動くようにして、空いた穴は後で埋めるようにしていました。夫婦で経営してるので、夫婦共に帰りが遅くなるのですが、週一スタジオに家族で集まって社交ダンスをするようにしています。高一長男は「やりたくない」って言い出してるけど、「踊れるようになればバイトで雇うよ」って言って今でもダンスで家族のつながりを持てています。

Q:今、幸せですか?

A:めっちゃ幸せ。20代半ばの時はどうだっったかわからないけど、どの時代を振り返っても幸せだったと思います。今、家族を優先に出来ているし、自分で仕事してるので、「誰かのために生きる事・働く事も結構楽しいよ」と若い時の自分に教えてあげたいですね。

Q:今後の生きた方働き方どうしていきたいですか?

A:コロナが明けたので、「仕事を頑張ろう!」と思っています。コロナの時は、これまでの人生でこんなに仕事せず家族との時間を過ごしたのは初めてなくらいだったので、それはそれでよかったのですが、今はコロナも明けたし、仕事しないといけないので、仕事を頑張りたいと思っています。

Q:最後に自分の生き方働き方と向き合っている方へのメッセージをお願いします。

A:仕事に関して言うと、今出来ない事はその時々で優先順位をしっかりつけて、選択していけばいいと思います。家族がベストな状態でいる事が、私自身もやりたいことが出来て生きやすいので、子どものピンチは母の自分、夫のピンチは妻の自分とシフトチェンジしています。

そして周りの人に頼ってみてください。周りの人は敵では無いですよー。

あとは、苦しいけど踏ん張らないといけない、ここぞって時のために、力をぬいて生きる時間も必要だと思います。